映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の原作ということで、にわかに注目を集めている「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」。映画が公開された後は、セールの効果もあってかなり長い期間、アプリストアのランキング1位に居座り続けており、あらためてその人気に驚かされました。

【画像で見る:ビアンカとフローラ、どちらを選んだ?】

 シリーズの中でも特に「名作」との呼び声が高い同作。だからこそ映画の原作にも選ばれたわけですが、一体「ドラクエV」の何がそこまでユーザーを引きつけるのか? 現役ゲーム開発者であり、ブログ「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の管理人、hamatsuさんによる、原作「ドラクエVレビューをお送りします。

●なぜ「ドラクエV」はここまで「語られる」の?

 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」が公開されて以降、この映画についての多くの言葉がネットを飛び交っている。

 当サイトねとらぼでもかなり批判的なレビューが掲載され、大きな反響を呼んでいる。肯定的な評価をする論者も居いるものの、おおむね批判的な評価が大勢を占めているとも言ってしまっていいだろう。

 筆者も劇場で鑑賞したが、ここからさらにこの映画に対して何らかの評価を付け加えるつもりはあまりない。個人的には映画中で繰り返し擦り倒される「序曲」を始め、使い所を間違えまくる音楽の扱いの雑さにはかなりゲンナリさせられたものの、全く楽しめなかった訳ではないし、最後の大オチに関しても既にある程度は承知の上で望んだので、まあこんなものかと受け流してしまった。

 今回この記事であらためて考えてみたいのは、「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」(以下ドラクエV)についてである。

 なぜ「ドラクエV」はここまで「語られる」のだろうか? ユア・ストーリーだって「ドラクエV」の映像化でなければここまでの反響はなかったのではないだろうか。

 結論を言ってしまえばその最大の理由は、プレイヤーが自分の意志で相手を選べるという最重要イベント、「結婚」にあることは間違いないだろう。1992年に「ドラクエV」がリリースされて以来2019年の現在まで続く、ビアンカフローラ論争の始まりである。

 ちなみに筆者は「ドラクエV」を遊ぶときは、必ずビアンカを選んでしまう。2周目以降はフローラ、DS版のリメークで追加されたデボラを選ぶという考えも浮かびはするものの、結局ビアンカを選んでしまう。逆に何度やってもフローラを選んでしまうという人もいるだろう。

 ビアンカフローラ論争が四半世紀以上に渡って続く理由はこんなところにある。「ドラクエV」は結婚相手を「選べる」ゲームなのではない。自分が思いを込めて決めた相手しか「選べない」ゲームなのである。 だからどっちもそれぞれ良かったね、なんてヌルーい結論にはいつまでたっても至ってくれないのだ。なぜ「ドラクエV」はそのような熱を帯びた、一種のカルト性を孕んだゲームなのか、あらためて考えてみよう。

●岩を押し続ける簡単なお仕事

 十年間岩を押し続けるってどんな感じなんだろ?

 「ドラクエV」について考え始めるとどうしてもそのことについて考えてしまう。

 このゲーム主人公の幼少期から始まり、やがて青年へと成長し、最大のイベント「結婚」を迎え、2人の子どもを授かり、さらに成長したその子どもとともに冒険の旅に出るという親子3代にわたる長大な「時間」の流れを描く物語である。

 そのため、ゲーム中では2回、大きな時間経過が起きるイベントが存在する。

 ネタバレになるので詳細は控えるが、ゲームというメディアにおいて自分の分身たるプレイヤーキャラクターが、子どもから大人になってしまうほどの変化、プレイヤーが知り得ない長い時間を経過させてしまうということはなかなか危険な行為である。これまで一体感を築いてきたはずのプレイヤーゲーム中の主人公との間に乖離が生まれる恐れがあるからだ。

 特にドラゴンクエストシリーズのような、プレイヤーゲームキャラクターの間の一体感を重視してきたゲームであればなおさらだ。このようなゲームにとって10年単位の大きな時間経過を発生させるということはプレイヤーとの一体感を阻害する、かなりリスクの高い行為と言ってしまってもいいだろう。

 だが、「ドラクエV」が傑出したタイトルである理由はそのようなリスクの高い行為をむしろ逆手にとって利用している点にこそある。

 長大な時間経過が一瞬にして過ぎてしまい、その間に起きたことをプレイヤーが知らないなら想像に委ねればいい、時間経過以外にもさまざまな「欠落」や「隙間」を用意した上で、それをプレイヤー自身が埋めることができるようにゲームを設計すれば、逆にそれはゲームの推進力になる。だからこそ、このゲームにおける2回の時間経過イベントはそのどちらもが呆気に取られてしまうほどに一瞬で色んなものを失い、大小さまざまな「行間」を発生させる衝撃的なイベントになっているのである。

 ストーリーで発生する「欠落」や「隙間」「行間」をゲームシステムによって補間するゲーム、それが「ドラクエV」なのだ。

 システム面での大きな特徴である「モンスター仲間システム」にしても、ただ単純にモンスターが仲間にできれば面白そうだから導入したということ以上に、いろいろあって家族を失った主人公あらためて仲間、家族を再構築するという、ストーリーを補完する意味がある。

 そしてここまで来てしまえばもう説明は不要だろう、このゲームにおける「結婚」イベントに多くの人が思い入れてしまう理由もまた、「ドラクエV」というゲームに巧みに仕込まれた「欠落」にこそある。

 プレイヤーがそれぞれの形、それぞれの思いによって過去、そして未来の時間を埋められるように巧みにシナリオゲームシステムが設計されているからこそ、単にゲーム中における新しい仲間の追加ということ以上にユーザーが熱を込めて思い入れてしまうのである。つまりビアンカフローラ論争は永遠に終わることはない。

 ちょっとネタバレになってしまうが、青年期初期の長く苦楽を共にしたはずの友人とは意外にサクッと別れ、故郷はズタボロにされ、せっかく旧友に再会したと思ったら村八分を食らい、そしたら別れたはずの友人はサクッと結婚し……っていう主人公の心を削りにくる畳み掛けるような展開って本当に……堀井さん……!

 ちなみに我ながら気持ち悪い話なのだけれども、筆者がビアンカしか「選べない」のはビアンカ以外の相手を選んだ時に、その後もビアンカが山奥の村に存在し続けるという事実に耐えられないからなんですよ。そんな未来は要らないっていうか。

 「ドラクエV」は恐らくもっとも時間がたっても「古びない」タイプゲームで、だからこそ映画化の原作としても選ばれたのではないかと思うのだけど、その理由はこのゲームユーザーそれぞれの思いを載せる「器」として優れているからだと筆者は考える。だからこそいまだに岩を押し続ける暮らしに思いをはせてしまうのだ。

ドラゴンクエストは「虚無」を許容する

 ここからは余談なのだが、この記事を書くにあたって、久しぶりにドラクエV(DS版)をプレイしてみてあらためて気付かされたことがある。それは、カジノが出現するタイミング、絶妙すぎ! ということだ。

 いろいろなことがあって、さまざまなものを失ってボロボロだけどどうにか新しい旅を始めようかと立ち上がった主人公が初めて訪れる町、オラクルベリーカジノは存在する。つまりストーリー的にはもっともシリアスに盛り上がったタイミングカジノに行けるようになるわけである。

 で、まあそりゃ目の前にカジノがあったら、行くじゃないですか。スロやっちゃうじゃないですか。リアルに徹夜しますよね。ええ。

 結果としてメタルキングの剣4本ゲットしたとしても、40過ぎた大人がゲーム中の架空のスロットで徹夜して貴重な休日を浪費する。まあ率直にいって「虚無」と言ってもいいだろう。

 でもこれこそがドラクエだよなとも思ったりするわけである。ストーリー上でもっとも重くシリアスタイミングでこそ、能天気で浮かれた町に主人公を行かせて本筋そっちのけでカジノで遊べるようにしてしまう。世界を救うとか、仲間を探すとかどうでも良くなって有り金ぶっこんでカジノスロットしちゃう。このシリアスとしょうもなさの振れ幅こそがドラクエだよなと。

 久しぶりにプレイする「ドラクエV」は相変わらず面白かったが、同時に歳を重ねることで明らかパパスや結婚後の二度目の時間経過後の展開に思い入れる自分がいたりして、これまでとは違う面白さもまた存在した。だが、なんだかんだでやっぱりスロットで徹夜しちゃうしょうもない自分とそれを許容するドラゴンクエストの懐の深さが一番印象に残った。

 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」では後半のある展開で、「虚無」という言葉が主人公に投げかけられ、主人公はそれを否定する。しかし、筆者はその「虚無」という言葉を肯定する。「虚無」すら飲み込み許容するエンタテインメント、それが筆者にとってのドラゴンクエストである。

ライター:hamatsu】

ゲーム会社勤務のゲーム開発者。ブログ「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の執筆者。 ゲームというメディアにしかなしえない「面白さ」について日々考えてます。

Twitter:@hamatsu

スマートフォン版「ドラゴンクエストV」公式サイト


(出典 news.nicovideo.jp)


(出典 gameoukoku.jp)



<このニュースへのネットの反応>

おっさんとしてはトルネコの出て来たⅣが好き、、、


一番退屈そうなトルネコ編が一番面白かったです。狼と香辛料でもそうですけど、行商っていいですよね。


ドラクエVと人生がある程度連動してるのよな。 DQ幼少期→学生時代  DQ奴隷時代→就職 DQ結婚イベ→結婚 DQ国王就任→昇進


申し訳ないがギャンブルに共感出来ない自分としてはとりあえずスルーしたわ(しなかったとは言っていない)。ただ色んな物事の積み重ねが例の選択に何処か説得力を持たせる妙技は良かったとも思う。Ⅳ以降ドラクエはシナリオ、作家性に寄った流れに変わったけど確かにⅤは「時の流れ」こそが最大の注目点だったのかも。でもFFみたいな禅問答を持ち込んだ映画は愚作としか言えない。


ところでお前らビアンカ派? フローラ派? 俺ビアンカ。


早々にPCへ移動したんでこういった関係のゲームを全く遊ぶことはなかった。当時は同級生とか誰も持っていないPCを持っていること、PCでしか遊べない18禁とかを遊べる事で得意げになってたが今になると当時の話題に全くついていけない虚しさだけが漂う。


ストーリーの完成度の高さやゲームバランスの良さもあるけど、ストーリーの長さもこれくらいが丁度良かったというのもあるんじゃないかな。Ⅵ以降はストーリーが長過ぎてところどころの印象的なイベント以外頭に残ってないけど、Ⅴはストーリー全体をほぼ覚えているもの。


出来損ないの*映画を見る事で、何度もやったSFC版でも映画のチケ代の1000倍以上の価値あるんだなぁって思えて最高だぞ?いや、ごめん嘘ついたわ、映画がマイナスだから、-1000倍だわ。


確かに結婚イベントはドラクエVにおいて重要要素だけど、他のRPGで幼少期〜自分の子供と一緒に冒険するまでを描いた作品があるだろうか?ドラクエVは波乱の人生を描いた小説のようなRPGだから人気なんだと思うな!!


発売前からビアンカと結婚の1本道かと思ったら唐突に嫁選びがあったのと、主人公補修?何それ?な主人公のどぎついド不幸◎ぷりに感情移入とかあったのかもね。最後は幸福(金特)持ちになって帳消しになったけど。


5が特別語られてるというわけではない。ちょっと前までは3や4の話が多かった。5メインの年代の人が相対的に増えただけさ


ユアストーリーは絶対に許さない


ドラクエ5好きだしビアンカも好きだしビアンカ派がいるのもいいよ、でもビアンカ以外認めない派がフローラ好きに噛み付いてくるのがうざい


私は個人的に5大好き


私もビアンカしか選んだことない。まあ他人と論争する気はないけど、例外として、リアルの結婚相手は自分と同じヒロインを選ぶ人じゃないと上手くいかないって聞いたw


村八分なのか・・・ひでぇな・・・。


百歩譲ってミルドラースがあんな事になったのは良いとしても、説教はいらん


最初はフローラ選んだなあ。でもビアンカの一途な面を見て2周目以降はビアンカ一択だわ。感情移入の強い人ほどビアンカ選ぶんじゃないかな?


ユアストーリーを許さない今後山崎貴が映画作った時は徹底的にネガキャンする


ビアンカ派とフローラ派の決着なかなかつかないよね。翔子は断然フローラ。何回やってもフローラ。ビアンカは一回しか選んでみたことないや。フローラがいい、イオナズン覚えるんだもん。ドラクエ4コマの影響でフローラにはホイミンがにあうとおもう。〓しょうこ〓


セーブ分けて普通に両方と結婚したぞ。デボラさん居るVerはハード持ってなかったのでやってない。


5はボスにダメージ与えた時に「ピシッ‼」ってなるのが凄い好き


今スマホ版やってるが操作が思いのほかダルイわ。隣のやつに話かけたいんだよ!ってのに何度も話しかけるハメになったり。外部コントローラーほしいわ


5はまさに子供が大人になる物語だったからね。何も知らず世界に投げ出され、意味もわからず父の背を追い、その魂を(復讐という形で)引き継ぎ、やがて自分だけの思い出と経験を積み重ね、そして自分だけの選択を得て、いつしか父と同じところに追いつくっていう。これを説教ゼロ、風景に意味を折りこむ堀井文学で語られるんだからタマラン。あ、俺はルドマン派


グレイトドラゴンの2体目を仲間にするために数十時間頑張ったけど、結局仲間にできなかった思ひ出


よく行けるな、ビアンカがいる村によ!


山田竜胆太郎>SFC版はあんまりバランス良くなかったよ。3人パーティーのせいで基本的に全体攻撃と回復が出来る万能者ばかりのパーティーに成りがちだったし。


ストーリーとしてはビアンカを見捨てるとつらい流れなのは分かる。それを超えられると、ビアンカのメラ、ギラがフローラはベホイミとイオナズンになるが、あとは結婚後にグランバニアへ行くまで、町ごとにルドマンさんからの支援で装備アイテムが届くぐらいだから割は合わないかな。自分はフローラ編でその後のビアンカには会わずにクリアした。3人目?知らない子ですね


リメイクでやらかしたナンバリングもあるなかで、2度実に無難に成功してるから話が通じる世代が多い


ポケモンみたい(こっちの方が古いが)に「いろいろな魔物を仲間にできる」のが『5』のウリ、4コマ漫画劇場もこれと結婚のネタが突出して多かった(ボスが一律ネタバレ禁止令出てたせいもあるが)


3は王道ヒロイックストーリー、4は各キャラを掘り下げる構成が魅力、5は親子3代に渡る大河ドラマ的な所が胸打つ。…それぞれに良さがあって、堀井さんの手腕に改めて感心させられるなぁ。 あと余談だが、ユア・ストーリーは山崎監督一人の責任ではないと思うぞ。脚本家とか、そもそも企画した連中とか、スクエニ自体も大概(ry


まずゲームしたことないのに作れると思ったあたりになろう小説かよと思った


大層に当時のプレイ語るほど思い入れがあるはずなのに話の最後にYSを許容するって・・・いくら貰ったの?


ユアストーリーとかいう劇場版たけしの挑戦状


5はCDシアターも大好きだった。声優さんの名演もあって、どのキャラクターも生き生きしてて聴いててすごく楽しい。特に川村万梨阿さんのビアンカがバッチリだった。


相手選ぶシーンでルドマン夫人に話しかけても平然な対応されるんですよね。


フローラは選ばなくても、結婚相手居るが、ビアンカは結婚しないと村戻って父親亡くなり、ずっと一人なんやぞ・・・


選ばれなかったビアンカに救いがないってこともあるけど、フローラを選ぶのにビアンカ程の背景がないのはどうなんだろね もうちょい思い出イベント欲しい


『ファンタシースター3~時の継承者~』では、ちゃんと婚約者であるさらわれヒロインを助くるという明確な目的があった上で一章の最後に今まで一緒に命がけで戦ってきた主人公思いの健気な子とさらわれただけのヒロインどっちにする?って選択肢が出てその結果が子々孫々に至る最終章までフォローされるんですけど、そういえばフローラってなんで主人公とフラグ立ってたんでしたっけ…?


フローラが嫌な訳じゃないんだ、アンディとフローラのカップリングが好きなだけ。