―[魂が燃えるメモ/佐々木]―


いまの仕事楽しい?……ビジネスだけで成功しても不満が残る。自己啓発を延々と学ぶだけでは現実が変わらない。自分も満足して他人にも喜ばれる仕事をつくる「魂が燃えるメモ」とは何か? そのヒントをつづる連載第167回

鬼滅の刃』(集英社)という大ヒット漫画があります。大正時代を舞台に、家族を鬼に殺された主人公の竃門炭治郎が、家族を殺した宿敵を倒し、鬼になってしまった妹を人間に戻すために旅に出る冒険譚です。

 炭治郎の特徴は「同情」です。彼を鍛えた師匠の鱗滝左近次は出会った当初、「この子は駄目だ」「鬼にすら同情心を持っている」と考えています。しかし、実際は厳しい修行と試験を乗り越え、鬼を狩る組織「鬼殺隊」に加わり、戦うようになります。

「鬼殺隊」に参加するための試験で、炭治郎は師匠の鱗滝と因縁のある鬼と戦います。この鬼は自分を捕らえた鱗滝のことを恨んでいて、試験でやってきた彼の弟子をことごとく殺していました。

 このことを知った炭治郎は激怒します。しかし、その鬼が塵になって消えていく時は、「神様どうかこの人が今度生まれてくる時は鬼になんてなりませんように」と哀れんでいます。

 また、鞠を武器にする鬼と戦った時は、亡骸の近くにその鞠を添えて、「小さい子供みたいだ。たくさん人を殺しているだろうに」と考えています。鬼滅の刃では、「炭治郎が鬼を倒しつつ、その鬼に同情する」という描写が繰り返されているのです。

 その根底には、「それはそれ、これはこれ」と区別できる彼の思考があります。鼓を武器にする鬼と戦った時、炭治郎はその鬼が操る特殊能力「血鬼術」を「すごかった」と評価します。その一方で、「でも人を殺したことは許さない」と断定します。

 この鬼は人間だった頃、自分の書き物や鼓をこき下ろされた過去がありました。しかし、彼は最期に炭治郎に認められたことで、涙を流しながら死んでいきます。このように『鬼滅の刃』の鬼は単なる悪党ではなく、悲しい過去を抱えています。「悲しい過去」は物語の定番要素ですが、『鬼滅の刃』では、その悲しみに対する同情がテーマの一つになっています。

鬼滅の刃』はフィクションですが、現実にも同じことが言えます。人間は多面的で、良い一面と悪い一面の両方を抱えています。にもかかわらず、誰かの行動だけを表面的に汲み取って、その人のことがわかったような気になり、「馬鹿」や「悪人」と決めつけていては、人間性を理解することはできません。

◆どうすれば同情できるのか?

 では、どうすれば相手のことを決めつけず、同情できるようになるのでしょうか。炭治郎には鬼になってしまった妹がいます。この妹は鬼になりながらも、一度も人を殺めたり、食べたことがなく、それを理由に生かされています。しかし、一歩間違えば、他の鬼と同じようになっていたのかもしれません。それがわかる境遇の炭治郎だからこそ、相手の境遇に共感できるのです。

 理屈で考えるだけでは、相手に同情することはできません。自分も似たような経験をしているから、相手と自分の境遇を重ね合わせて、同情できるようになります。苦しみや悲しみをたくさん経験しているほど、他人に優しくなれます。

 ただ、どれだけ苦しみや悲しみを経験していても、それを誰かのために思い出さなければ宝の持ち腐れになってしまいます。「自分の体験を思い出す」には訓練が必要です。そのために習慣的に自分の過去を振り返り、思い出した内容を記録して、いつでも使えるようにするのが『マインレコーディング』です。

 繰り返しになりますが、誰でも良い面と悪い面の両方を抱えています。凶悪犯罪にでも巻き込まれないかぎり、「こいつは生きている価値が無いのではないか」と悩むような人物にでくわすことはまずありません。学校や会社で普通に暮らしているならば、同情心がある方が物事がスムーズに進みます。

 同情は扱いが難しい行動です。同情や憐れみを嫌う人間はたくさんいますし、そうした風潮が蔓延したこともあります。しかし、洋服や飲食に流行があるように、考え方や価値観にも流行があります。『鬼滅の刃』がこれだけ流行しているのは、詳しい事情も知らないのに相手にレッテルを貼ることに疲れ、同情を必要とする状況が社会にあるのかもしれません。

 誰かのことを「悪人」「馬鹿」と決めつけたくなった時は、自分にも似たような経験がないか振り返ってみてください。「そういえば」と思い出して相手の境遇がわかると、不毛な決めつけから抜け出し、多面的な発想と行動ができるようになります。

佐々木
コーチャー。自己啓発ビジネスを結びつける階層性コーチングを提唱。カイロプラクティック治療院のオーナー、中古車販売店の専務、障害者スポーツボッチャ」の事務局長、心臓外科の部長など、さまざまな業種にクライアントを持つ。現在はコーチング業の傍ら、オンラインサロンを運営中。ブログ星を辿る」。著書『人生を変えるマインドレコーディング』扶桑社)が発売中

―[魂が燃えるメモ/佐々木]―




(出典 news.nicovideo.jp)


(出典 kimetsu.com)



<このニュースへのネットの反応>

鬼を完全に悪にして勧善懲悪しちゃうと、物語そのもの(ねずこ)に矛盾が出ちゃうのよね。難しい問題をかかえてよく連載するよ


再アニメ化が近いと聞いたこともあって「君は倒れた敵に手を差し伸べ赦すだろう」というダイの大冒険の歌の一節を思い出すなあ。炭治郎にせよダイにせよ、その敵から被害を受けた当事者ではない事や、既に戦って倒していて罰を与えた状態というのも大きいが。


個人的には妓夫太郎と堕姫のエピソードで何も事情がわからないのに倒したあと炭治郎は最後に「仲直りできたかな」とつぶやく流れが好きだ


え?そんなの当たり前だろう。わざわざ考察するようなことか?


こんな事を疑問視する。それが人間ってことでいいかな?


鬼に逢うては鬼を斬り 仏に逢うては仏を斬る


その炭治郎でさえ、自業自得な上に悲しい過去どころかポリシーも無い小物な頭無惨に対しては表情が消え失せる程の怒りを滲ませたけど


炭治郎はアニメ一期の後から魘夢や半天狗には同情の余地が微塵も無いと吐き捨てたし、その主である無惨様には最終的に存在してはいけない生き物と断定して先に挙げた二人にぶつけていた怒りの感情すら消えて何も感じなくなりますからね


苦労知らずな人ほど、同情されるよりいじめられる方がマシって言うよね。それは親も同じ。


単純に鬼滅の鬼は一部例外を除けば「望んでその姿になったワケではない」のでたんじろは嗅覚とかそういうので感じ取っちゃって鬼絶対*マンの柱とかと比べてやけに鬼側に同情するのは致し方ない。なお一部例外に対してはガチで殺意を向ける模様


まぁ過去に問題を抱えてる系の主人公を描くと決まったパターンで描くしかないしな。鋼ののエドみたく人間の定義で悩む主人公とか進撃のエレンみたく絶対*マンとか


そもそも復讐よりも救済の為に武器を取ったからな。初戦は相手が鬼狩りで鬼を守る戦いだぞ。


やさしいから この一言で十分


今流行りだからこのアニメが取り上げられてるけど、こういう*あった敵に最後同情的になるアニメは昔から結構あるよ。聖闘士星矢とかモロにそうだし、北斗の拳も(雑魚に厳しくボスに大アマな展開ではあるけど)


マジレスすると、鬼自体が時代の激変や環境によって人の道から踏み外したモノを暗喩してて、そういう外道を切り捨てる今の時代に、手を差し伸べる「やさしさ」をみんな心のどこかで望んでるだよ。物語の主人公ぐらいさ、人の道を踏み外した外道を人生の最後に人の道に戻すやさしさがあってほしいじゃんか。


炭治郎には「臭い検知」という異能があり、それによって説得力をつけている。やさしいとか性格や経験では解決できないと作者も理解している証拠。ニュータイプみたいなもんだ。


ゾンビ物で単にウイルスに感染したというだけでゾンビを*まくるけどそれついさっきまで人だったんよ、と言いたくなるのに似ているな


優しさや相手に対する同情って結局精神的な余裕・強さから生まれて来るものだと思うけど、あの過酷な境遇でなお保たれている炭治郎のメンタルは、強く眩し過ぎて現代の自己啓発にはあまり参考にならんような気もするなあ…w