ラストダンジョンを目の前にして、もしくはラスボス直前のセーブポイントで、なぜかゲームプレイする手が止まり、放置してしまった経験はありませんか?

実はこれ、武道や芸道とも通じる日本人独特の現象だったことが研究で指摘されています。詳細は以下から。

これは「ゼビウス」「ドルアーガの塔」の原作者として知られる日本デジタルゲーム学会副会長遠藤雅伸東京工芸大学芸術学部ゲーム学科教授と三上浩司東京工科大学メディア学部教授による「ゲーム道: 日本ゲーム文化を理解するゲーム学の手掛かり」(PDFの68ページより)という研究によって指摘されたもの。

なお、この研究は2019年8月に日本デジタルゲーム学会が開催した第8回となる夏季研究発表大会(DiGRA 2019 Workshop)で発表されたものです。

この研究ではゲーマーをロジェ・カイヨワの「遊びと人間」から2種類に分類します。ひとつはルドゥサーと呼ばれ、「ゲームによって与えられたルールに従った勝利や課題達成を重視し、競技的にゲームを捉える」タイプゲーマーです。

もうひとつは、パイディアンと呼ばれる「与えられたルールに縛られず自由にルールを創発し、勝利や課題達成より楽しさや自己目標の達成を重視して、遊戯的にゲームを捉える」タイプゲーマー

海外のゲーマーの大多数がルドゥサーに分類されるのに対し、日本人ゲーマーは例外的にパイディアンが半数近くを占めているとされます。

そして、「ラスボス直前でゲームを放置する」のはパイディアン的な振る舞いであり、その根源には武道や芸道にも似た日本独自の「ゲーム道」と呼べるマインドがあるとのこと。研究ではこの行為を「Intentional Stay:温存」と呼んでいます。

研究では「温存」はプレイヤー自身が、ゲームシナリオを最後まで進めずにゲーム世界に留まり、プレイするよりも強いゲーム体験を得るために行うとされており、定量調査では13.88%が経験したことがあるとのこと。

海外との比較のため、20人の外国人と41人の日本人インタビューを行った結果は以下のとおり。日本人は経験の有無に関わらず全員が理解できたとしており、外国人で理解できたのは日本語が堪能で日本になじみのある2人だけでした。

なお「温存」に関するコメントとしては以下のものが紹介されており、

「その世界が好きすぎて終わって欲しくなかった」
ラスボスを倒したらクリアしてしまうから」
「話が終わるのがさみしくなったので」
ストーリーが進むと仲間がいなくなると感じ進めていない」
クリアするのがさみしくて」
「物語が終わってほしくない、世界観に浸っていたい」

筆者らは「世界観が魅力的なRPGゲームに没頭している場合、シナリオクリアしてしまうとゲーム世界との関わりが失われるため、意図的にゲームプレイを中断していた」と指摘しています。

また日本人に対しての「最も好きな・印象に残ったゲームは何か?」の量的調査ではロールプレイングが40.5%、アクションが34.1%となり、理由としては「世界観」「ストーリー」「完成度」が上位に。これは「日本では競技性よりナラティブ要素が好まれる」ためとのこと。

つまり日本人の中ではゲームを単にルールに基づいた勝つための競技ではなく、その世界に浸って自由に面白さを見つけて遊ぶためのものだと考えている人が多いことになります。

ゲームの世界が魅力的で、その世界を終わらせたくないと考えた人がプレイを止めてしまうと考えれば理解できる日本人は多いのではないでしょうか。

研究ではここからさらに一歩踏み込み、「温存」が日本の武道や芸道に存在する禅に通じる「残心」との類似を指摘します。

残心は「茶道では茶会の後に茶会と集った人を思い、より良い経験と縁を感じるもの」であり、ゲームでの「温存」は「直接のプレイから離れることで、より深くゲーム世界に自分が関わる行為」であり、茶道の残心と同様の境地であるとのこと。

これは例えば面白い本や漫画を読んでいて、終わりのページが近づいてくると寂しくなる心理と近いものとも言えそう。そう考えると、ラスボスを前に放置してしまうゲームは私たちがずっと浸っていたい完成された世界観の物語ということになり、二次創作の貴重な源泉なのかもしれません。

【「ラスボス直前でゲームを放置する」症候群、武道や芸道に通じる日本人特有の現象でした】を全て見る

「ラスボス直前でゲームを放置する」症候群、武道や芸道に通じる日本人特有の現象でした


(出典 news.nicovideo.jp)


<このニュースへのネットの反応>

ラスボスが強すぎて倒せず、嫌になってそこでやめてしまったゲームはいくつかあるが、このintentional stayというのはそれとは違うんだな。


ゲームってのは序盤が一番楽しいの!(例:civ4)


自由度を求めるのが日本で~というのは疑問視しか、むしろオープンワールドの受け入れ方を見るに全くの逆では?スカイリムなんかの時の評価を見るとそうとしか思えない。


気に入ったモノ程なりがち


ラスボス手前で引き返してずっとレベル上げする、現状で勝てないような気がするので上げるんだけどいざ突撃すると強くなりすぎてボス戦アッサリ終わる


ゲームの時くらい競争から解放されたいよ。ルドゥサーの人にはついていけないや


イシターの復活のどこかのフロアで机の横で突っ伏してた人か


ラスボスがあまりにも強すぎたため、心が折れて放置したものもあるのでは?隻狼の一心やスターオーシャンセカンドストーリーのイセリア・クィーンで挫折しました。


陰蜂「・・・」


ゲームはねーけど、アニメの最終話はある。


淡路恵子だっけ、ドラクエをラスト直前まで行ったらデータ消してまた最初からを繰り返した人


某掲示板とか見るけど自由に楽しんでるイメージまったくないな


エロゲでもあるねえシナリオが素晴らしすぎて終わりたくない。リトバスのリフレインとか・・・


難しい語源で書いてるけど、ネットゲームで言うところの「ガチ勢」と「エンジョイ勢」のことだと思います。


裏ボスとかクリア後の要素とか無ければそのままクリアしてると思うわ、この後のやり込み要素が長いなーとか思っちゃうと、それなら隠し要素解放(クリア)前で止めとこうってなる


新語作ってその分類に収める乱暴さを感じ納得できない ラスボス直前で投げる人の気持ちも分からんが


ラスボスまでの攻略をワイワイ友達と話しながらするのが楽しいのであって、ラスボス退治はおまけ。記事を読んで最近適した日本語を当てられない専門家が多すぎるが自分の専門分野に自信が持てないのか、専門家自身も分かってなくて言葉の本来の意味を消化できてないのかな?


え、なんか面倒くさくなるってだけで、終わるの辛いからクリアできないとか一度もないんだが


序盤~中盤でストーリー無視してLV上げとやり込み要素を延々やって、そのまま飽きて途中で辞めちゃうのが多いや・・・


ちょっと違うが、ゲームは最後までプレイするが、コミックなんかは、なぜか最後の巻だけ買ってないのが多い